大学生のころ、沢木耕太郎氏の深夜特急に触発され、アルバイトで貯めた資金をもとに、初めての海外一人旅に出かけました。
深夜特急とは・・・
インドのデリーから、イギリスのロンドンまでを、バス(特に路線バス、高速バスなどの乗り合いバス)だけを使って一人旅をするという目的で日本を飛び出した主人公「私」の物語であり、筆者自身の旅行体験に基づいている。当初は日本からデリーまで直行してしまうつもりだったが、途中2か所のストップオーバーが認められる航空券を手にした私は香港とバンコクを選び・・・、様々な人々と事件に出会いながらロンドンを目指す。
大沢たかお主演で映像化もされましたね。
また、TV番組「進め!電波少年」の企画で猿岩石がユーラシア大陸横断したのにも、少なからず触発されたかもしれません。
周りもちょっとした海外旅行ブームだったように記憶しています。これを皮切りにその後何度も海外へ飛び立つとは、当時夢にも思わず。で、初回は、シンガポール、マレーシア、タイ、マレー半島縦断の旅。
深夜特急の逆ルート。1996年に行ってきました。
マレー半島縦断旅行の準備
Airは、格安航空券を手配する小さな旅行代理店の店頭で手配。こういう旅行代理店、当時はたくさんありました。今だったらスカイスキャナーや
宿は、基本的に現地で決めることにしましたが、ビビりな私は、初日だけ、旅行代理店経由で現地の宿を手配。場所はリトルインディアだったかな。今だったら
ガイドブックは地球の歩き方。
当時はまだ青い小口塗りでした。青い小口塗りが廃止になったのは2002年だそうです。
『地球の歩き方』ガイドブックのイメージ、“黄色い背表紙に青の小口” のうち、青の小口は廃止になります。色がついているので“せっかく付いて いるツメが見にくい”という欠点を解消するのはもちろん、本屋さんでカバ ーを付けてもらっても、青い小口で「あっ、『地球の歩き方』を持っている」 とほかの旅行者に見られることもなくなります。『地球の歩き方』を持っている=日本人、と日本人目当てのトラブルもなくなることでしょう。
(出典:地球の歩き方WEB通信 Vol.47)
より詳細な情報が欲しいときはロンリープラネットもありますね。
当時はありませんでしたが、今ならWifiレンタルしておくとスマホで地図が見れるので便利ですよね~
あと、楽天プレミアムカード
シンガポール
当時まだ飛んでいたユナイテッド航空の成田→シンガポール便で深夜着。初海外、初一人旅、初深夜。。。ドキドキ。電車・バスなどの公共の交通機関は、その日はすでに営業終了していたので、タクシーで中心部まで向かったのですが、ものすごく緊張してドキドキしたのを覚えています。
タクシーの運ちゃんに行先を告げる声もカラカラ。雑談もしどろもどろ。あなたも初めての海外旅行の際に似たような経験をされたはず!このドキドキ感、きっと共感していただけるかと。
まあ、治安の良いシンガポールなので、何のアクシデントもなく宿へ無事到着し、ほっと一安心。(数年後に行ったインドのデリーで、2時間ぐらいオートリキシャで旅行代理店だ何だと散々連れまわされたのに比べたら、シンガポールは天国ですねw)
で、当時のシンガポール。
もちろん、マリーナベイサンズなんかまだありません。食事等の物価は、日本より若干安いぐらいだったかなぁ。煙草が高くて、1パックだと売れないのか、ハーフパック(10本入り)で売っていたのが新鮮な驚きでした。
マラッカ
バスで国境を越え、マレーシアのマラッカへ。
ポルトガル統治時代の赤い建物が印象的。
クアラルンプール
バスで、マラッカからクアラルンプールへ。当時はまだペトロナスツインタワーは建設されておらず、首都とはいえアジアの地方都市といった趣。
冬の東京から急に常夏の東南アジアにやってきて体が少々弱り気味。街歩きで火照った体を冷やすべく、モスクのタイル張りの床が気持ちよかったので寝ていたら、現地の人に怒られました。ごめんなさい。
でもね、白人ビジネスマンの団体も寝ていたけど、その方たちは怒られていませんでした。たぶん、寝たときの足の向きとかが、僕の体制だとあまりよろしくなかったんだろうな。
屋台でぶっかけアジア飯食べたら、お腹壊してトイレに駆け込みました!紙が無くて、便器横のホースみたいなのから出る水と指を使って、恐る恐る尻を洗いました。最初は「うへエ~」って感じでしたけど、慣れれば清潔で気持ちよいですね。良くふける手動ウォシュレット、といった感じ。まあ、アジア旅行の通過儀礼ですね。
クアラルンプールから寝台列車に乗り、バタワースで降りる。バタワースからフェリーに乗りペナン島へ。ペナン島で別の船に乗り継ぎ、ランカウイ島へ。
コメントを残す